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死んでいたはずの吉田清治とは何者か? [国際政治]

1983年「私の戦争犯罪」を書いた吉田清治(本名 吉田雄兎)は慰安婦狩りをしたという加害者側のひとりとして突然デビュウした。

元日本陸軍軍人と言われているが、その出自や素性にはおかしな点が多い。
「私の戦争犯罪」の中で軍令で慰安婦狩りをしたと書いた。自称元山口県労務報国会・動員部長。

僕は何千人の女性を家の中から引き摺り出し、当時の最高国家機関「大本営」の命令で道路に並べて慰安婦になりそうな女性を、何万人も戦地に送ったとでたらめを。

済州島で慰安婦狩りをしたという吉田の証言を、済州島の地元紙「済州新聞」は完全に否定している。
また現地調査を行った結果「慰安婦狩り」そのものが偽りと判明している。

吉田清治.png
引用http://dogma.at.webry.info/201401/img1_2.139081060797922923227.html


1998年9月、秦氏は吉田に「著書は小説だったという声明を出したらどうですか?」と電話した。
そうすると「私にもプライドはあるし85歳にもなって今更…このままにしておきましょう」と
また「私の戦争犯罪」は小説であり「慰安婦狩り」は完全な創作であると吉田清治自身が証言したという。

「村山談話」が発表された前の事である。

秦郁彦氏の調査によれば、

吉田清治は「出身・学歴・職歴」全てが詐称であり、更に驚くべき事に、吉田清治の出身高校の記録により、吉田清治(本名 吉田雄兎)は既に死亡していた事が判明したと言う。

ではこの吉田清治を名乗る人物のいったい誰なのか?

高校での死亡扱いから40時後に、突然、小説家として世の中に現れた吉田清治氏である。

更に吉田清治は24歳の時に20歳の朝鮮人、李貞郁(リ・ジョンウク)を養子に迎えている。
大学を卒業したばかりの独身青年が、僅か4歳年下の青年を養子にするというのは余りにも不自然ではないか?

吉田清治を名乗るこの男は、朝鮮から九州に密かに渡り、死亡扱いの日本人の戸籍を乗っ取り、日本人に成りすまして実の弟を養子に迎えた可能性が高いと言われている。

そうすると、吉田清治のフィクションに目をつけて、日本政府を相手に訴訟を起こそうとした人物が現れた。
弁護士、福島瑞穂と高木健一である。

「私の戦争犯罪」が出版されると韓国に渡って原告になる「元慰安婦」を募集した。その時、見つけてきた慰安婦が「金学順」である。

1991年、福島瑞穂は金学順らを原告に日本政府を提訴。「NHKニュースセンター9時」に金学順を出演させた。その時、金学順は「親に40円で売られてキーセンになった」と証言。

福島瑞穂がスタジオ内で一生懸命、台詞を覚えさせていたと、元NHK職員で当時の番組担当者だった池田信夫氏が証言している。

福島瑞穂の当初の訴訟目的は「親にキーセンに売られた」金学順に、敗戦で無効になった給与を日本政府に賠償させる事だったという。

所謂河野談話の時1993年、16人の自称「従軍慰安婦」の聴き取り調査の為に訪韓して取りまとめたのも福島瑞穂氏である。 高木健一氏は、金学順らの訴訟を起こした主任弁護人。 

インドネシアの地元紙にも「補償の為に日本からやって来た。元慰安婦は名乗り出て欲しい」と広告まで出した。

「名乗り出れば200万円の補償金が出る」と宣伝したら、17,000人もの「元慰安婦」が名乗り出てきたと言う。阿比留瑠比氏が現地調査でインドネシアの元慰安婦の補償問題は高木健一のねつ造マッチポンプである事を突き止めている。

そして、もうひとり、朝日新聞の植村隆記者。彼の妻は韓国人であり、その母親は訴訟原告団の団長である。
植村隆記者はこれが所謂 「人身売買である事実を知りながら、義母の訴訟を有利にする為に「日本軍の強制連行」という話にすり替えた」



1992年1月には一面トップで「慰安処、軍関与示す資料」との見出しで軍が慰安処を管理していたかのような印象操作を行い、それが翌年の『河野談話』に繋がった。

当時を知る心ある韓国人識者、日本人識者は「強制連行は無かった」と証言している。



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